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【閲覧注意】 在日韓国人のご先祖様がヤバすぎる件 !!!!!

朝鮮の奴隷制度   


奴婢は
品物のように売買・略奪・相続・譲与・担保の対象になった。   


かれらはただ主人のために存在する主人の財産であるため
主人が殴っても 犯しても売り飛ばしても、果ては首を打ち落としても何ら

問題はなかった。

それこそ赤子の手を捻るように、いとも簡単に主人は碑女たちを
性の道具にしたものであった。奥方たちの嫉妬を買った碑女は打ち据えられたり
ひどい場合は打ち殺されることもあった。   


外観だけは人間であるが主人の事実上の家畜と変わらなかった碑女たちは
売却・私刑はもちろんのこと、打ち殺されても殺人にならなかったといい


韓末、水溝や川にはしばしば流れ落ちないまま、ものに引っかかっている
年頃の娘たちの遺棄死体があったといわれる。 

局部に石や棒切れをさしこまれているのは
いうまでもなく主人の玩具になった末に 奥方に殺された不幸な運命の主人公であった。

李氏朝鮮時代の身分制度 


この時代(1392年―1910年(ただし、1897年からは「大韓帝国」であったが
実体は李氏朝鮮時代))の身分制度も高麗時代のものを継承した。


身分は、大きく「良民」と「賤民」に分かれる。 


「良民」とは、自由民であり、納税、国役の義務を負い
さらに「両班(文班、武班)」、「中人(下級役人、技術官など)」
「常民(農民、商人、職人)」に分けられた。


「賤民」は「奴隷―奴婢」と「白丁(ペクチョン)(動物の屠殺に従事する者)」
「才人(広大ともいう)(芸人)」、「官妓(役所に所属する酌婦)」
「牽令(キュンエン)(牛・馬を引く者)」、「砲手(猟師)」、「水尺(スチョク)
(狩猟民)」、「駅卒(駅の使用人)」、「巫女」、「僧侶」など多岐にわたっていた。 


「奴婢」は「公奴婢―国家に所属するもの」と
「私奴婢―個人に所属するもの」に分けられていた。


さらに奴婢は「公奴婢、」「私奴婢」とも「入役奴婢」と「納貢奴婢」とがあった。


「入役奴婢」は、国の労役や主人の雑役に従事しなければならないが
「納貢奴婢」は国や主人から独立の生計を営みながら一定の身貢をする義務があった。 


「奴婢」は売買、贈与、相続の対象となった。


つまり、財物として扱われていた。
父母の一方が奴婢の場合は、子も奴婢となった。


「両班」が罪を犯し「奴婢」になったり、
「奴婢」が軍功などで「中人」、「常民」になったりすることもあったが、
極めてまれで身分間の移動はなかった。 


日韓併合がなければ在日白丁は今でもこうだったんだよ

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一般人

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奴隷制度を持つ朝鮮


現代の日本人は忘れているようだが

         朝鮮は日本とは何の共通点もない「よその国」だ。

日本人は今韓国に近寄りすぎていて、見えるものも見えなくなっている。


日本と朝鮮との「最大の違い」は“奴隷制度”があったかなかったかということだ。


李氏朝鮮をとってみても、一番上に両班(ヤンバン)があって、その下に普通の人で

ある中人、その下に常人(小作人)、その下に奴婢がいる。


 奴婢は明らかに奴隷だ。常人にも人権はなかった。


両班の息子・朴泰赫が書いた「醜い韓国人」(光文社)という本には、小作人の素行が

生意気だという理由だけで両班が打ちのめして足を折ったりして一生不具者にして

しまうような、奴婢・小作人に対する壮絶なイジメが書いてある。


この身分制度の人口比をみてみると、武士・町人に相当する両班・中人が約60%。

その下の常人・奴婢が約40%。下層階級の比率が非常に高い。


金正日政権下、多くの国民が飢えていると言われている今の北朝鮮でも

経済的な貧困層の比率をみてみると、やはり「40%」。


社会国家に衣替えしたところで、身分制度を含め、中身は李氏朝鮮時代のまま

ということだ。


身分差別に加え、地域差別もある。ロサンゼルスに行くと沢山のコリアンがいて

コリアンタウンが出来ている。


彼らに出身地を聞くと、異口同音に「ソウル」と言う。


それはウソで、大方は全羅道あたりの人たちだ。


なぜなら彼ら全羅道の出身者は、本国では差別され出世ができない。


だから、「ソウル出身」と偽る。


日本に密航渡航をしてくるコリアンたちも、ほとんどが全羅道の出身者だ。


らはまず日本に来て、運がいいとそこからアメリカに渡っていく。

祖国を捨てたくなるほどの凄まじい差別があるからだ。


朝鮮の歴史には、「奴隷制度」というものが常態としてあって、それに加えて

様々な「差別」があるということだ。


韓国は、支那の真似をして韓国独立記念館をつくったが、そこへ行くと日本人に

よる朝鮮人拷問の様子が再現されている。


例えば「ボウダ」という拷問は、足をゆわえて足の間に棒を入れてこじるというもの。

それで足を折ったりする。

竹で作った鞭も展示されている。


「残酷日本人」がやったという紹介文がついているが、
そんな拷問道具など

日本人は知らない。


そして、なぜか同じものが両班記念館にも

両班小作人を折檻した道具」として保存してある。


「醜い韓国人」を読まなくとも、両班がそういうイジメをやっていたという

 ことがよく分かる。


「名」もなき朝鮮の女性たち


朝鮮では女性差別も甚だしかった。


日本が1910年韓国を併合して、まず人口動態を調べようとしたら、統計がない。

戸籍すらない。

しかも、女性には「名」もないことが分かった。


「姓」はあるが、「朴さんところの嫁さん」という通称だけで、個々の名前がない。


そこで日本が名前を付けさせ、戸籍を作った。

それほど朝鮮人女性というのは差別されていた。


実際、つい最近、娘が韓国人に嫁いだら

「朝飯を男は居間で食って、女は台所で食う」という。

それで、さっさと離婚して帰ってきたと言う話


 朝鮮の古い文献を見ても、「閔妃」などという妃の名は出てくるが

下層階級の女性の名は出てこない。


 日本が戸籍を作ってから、「芳子」とか「君子」とか、日本式の「子」のつく

名前が急に増える。


それを「ヨンジャ」とか読むのだが、それは名を付ける伝統がないから日本の

真似をしたということだろう。


「女性を大事にするかどうか」は文化のバロメーターだ。

女性の待遇をみれば、その国の文化がわかる。

それだけでも日本と朝鮮にはものすごく大きな違いがある。


ちなみに、日本では「女流文学」が既に11世紀には成立している。

西欧に500年先駆けている。


紫式部清少納言をはじめ、女流作家がぞろぞろいた。


江戸時代には寺子屋制度もできるが、寺子屋の先生は3分の1が女性だった。


教育の普及に加え、有職の婦人がすでにそれだけ存在したことは世界の奇跡

と言ってもいいほどだ。


「哀号」と泣く不自然さ
朝鮮を語る上で重要なのは、“言葉の貧しさ”だ。これも日本とは大きく違う。


華夷秩序」の中にあった朝鮮の唯一の文化は「中華の真似ごと」であった。


漢字を入れ、漢語を入れて、それを大事にしすぎたあまり、朝鮮オリジナル語を

ほとんど失ってしまった。


この朝鮮のケースは世界でも珍しいケースと言える。


例えばフィリピンスペインに占領されてスペイン語を教えられ、アメリカ

占領されて英語を教えられても、自分たちの言葉であるタガログ語を捨てなかった。


朝鮮民族は、支那という隣の国に文化的侵食を受けるや自分の文化を自ら

すすんで全部捨ててしまった。


その結果、今は2割ほどしか古語、オリジナルの言葉がほとんど残っていない。


昔の人がどんな名前をつけていたのかも全くわからない。

今の朝鮮人の名前は「支那風の名前」であって、千年ぐらい前に彼らは

とっくに「創氏改名」している。


この「言葉を捨てたことによる弊害」を、こういう例で言うことができる。


例えば悲しい時、日本人であれば「悲しい」と表現するだけでなく

「わーんわーん」とか「えーんえーん」とか「めそめそ」といったように

表現方法が色々ある。


しかし、彼ら朝鮮人は、泣くのも漢字でなく以外にない。どう泣くか

哀号、哀号」と泣く。


これはおかしい。


なぜなら、「哀号」は「泣き叫ぶこと、またその泣き声」の意味だ。

つまり彼らは、「泣き声、泣き声」と言って泣いている。


日本語の「めそめそ」も「しくしく」も「わあわあ」も、どれ一つ表現できない。


本来あったオリジナルの言葉も失ってしまって、語彙が絶対的に不足している。


「ありがとう」というのも「感謝(カムサハム)」という、漢語言い回しで

代用している。


筑波大学の吉田教授が、朝鮮古語を一生懸命に掘り起こしているが、見つかった

のは180語に過ぎない。


朝鮮人は言葉に非常に不自由している。文化は言葉がないと育まれない。


だから朝鮮には文化が全くないととも言える。


15世紀になって、李氏朝鮮の4代目国王・世宗が諺文ハングル)を作った。


漢字ばかりでは教育が普及しないので、日本の仮名を真似て考案したのだ。


しかしあまり広まらなかった。

漢字・漢語を権威として使っていた支配階級である両班が抵抗したからだ。


文字が身分とリンクしていたから識字率は低かった。


それで福沢諭吉が門下生の井上角五郎を朝鮮派遣して、ハングル語普及に

尽力させた。


そして韓国併合後は、朝鮮総督府が小学校を建てながら

「普通学校用諺文綴字法」(1912年)という正書法を作ってハングル語を

普及させていった。


ハングルは日本人が定着させたのだ。


しかし、それにしても語彙が足りない。そもそもハングルのベースになっている

支那の言葉も語彙不足だったため、支那は近代社会の概念に対応できず

日本から「民主主義」や「共和主義」や「社会」「株式会社」といった

言葉を輸入している。


まして支那の漢字をベースにした文化である朝鮮の文化においては

さらに語彙が足りない。


 韓国人は短気で、かっとなりやすいとよく言われるが、それは語彙不足による

意思が伝わらないもどかしさ」が根底にあるという言語学者もいる。


日本の隣には、以上述べたように文化的につながりのない、はっきり言って

日本人が一番忌み嫌うタイプ”の人たちが住んでいる。